田口くんがKAT-TUNを脱退する
まさか相葉担のブログ最初の記事が田口くんの話題になろうとは。
でも、ジャニヲタとして書かずにはいられない。
なんせ、わたしは田口くん脱退の発表を、田口くんの口から、直接、その場で、聞いた。あの幕張メッセの会場で、ベストアーティスト生放送中に、聞いた。
ベストアーティスト番組協力に当選したときは飛び跳ねる勢いでうれしかった。帰ったら何回でもリピートしようと思っていた。けれど現実、わたしは録画したあの日のベストアーティストを、まだ一度も見ていない。録画リストにはいまだに「NEW」の文字が点灯したままだ。
あの日KAT-TUNが登場して、会場は沸いた。それはそれは沸いた。これはわたしの体感だが、番組協力に来ている人々の過半数はジャニーズオタクだったからだ。
だから、登場してから一度も笑顔を見せないKAT-TUN、不自然な間。この違和感に、会場はすぐに気付いた。黄色い歓声で包まれていた幕張メッセは、一瞬で静寂に落ちた。
そして、田口の口から告げられた”決定事項”に、悲鳴があがった。
そう、それは、「悲鳴」という表現が、最も適している。
目の前で泣き崩れた人がいた。呆然と立ち尽くす人がいた。あちこちからすすり泣きの声がきこえた。見ていられなかった。だらんと下がった手に握られたうちわに、田口くんが笑っている。この笑顔が世界で一番好きだと思っている女の子が、今、この会場で、テレビの前で、何人泣いていることだろう。
KAT-TUNは、田口のほかに、2人のメンバーが脱退した過去がある。
2人のメンバー脱退を経験した彼が、それでも今回脱退という道を選んだのはなぜだろう。
ファンってなんだろう。
どんなに好きで、どんなに追いかけていっても、彼らが仕事を続けるか続けないか、それを決めるとき、わたしたちは何の介入もできない。脱退だとか、解散だとか、私たちが知る時にはそれは”決定事項”として聞かされる。わたしたちには何の権利もない。ただ決まったことを受け入れるしかない。
むなしい。こんなにやり切れない思いを感じることがほかにあるか。
頭ではわかる。わたしたちが仕事をやめようと思うとき、その仕事に何の関係もない他人に続けろと言われても、お前には関係ないと感じるだろう。
そう、わたしたちは別に関係ない。
彼らが仕事を続けるか続けないか、選択をするとき、わたしたちは関係ない。
そもそもわたしたちは彼らにお金を払っているわけではない。
「彼らが発売したCD」にお金を払っている。「彼らが発売したDVD」、「彼らが出演している映画」、「彼らが出演するコンサート」にお金を払っている。けれど、わたしたちは、彼らにお金を払って直接つなぎとめているわけではない。彼らにお金を払って、契約しているのは事務所であって、やめる・やめないに関してわたしたちは何ら関係ない。
だからわたしたちは焼き付けておかなければならない。一瞬一瞬すべて。大好きな彼がずっとわたしたちの前にいてくれるとは限らない。
いまは、田口くんがわたしたちに見せてくれるKAT-TUNとしての最後の立ち振る舞いを、焼き付けておきたい。